ダウンシフトを生きる

「ダウンシフト」、一緒にはじめませんか?

高菜の佃煮をつくる

こんにちは。OGUROBBYです。

日に日に春が濃くなっていきます。
ついこの間まで、ヒートテックを着ていたのに、最近はTシャツの上に1枚羽織る感じで昼間は過ごせてしまいます。「春めいた」なんて時期はあっという間に過ぎ去り、もはや「初夏」と呼んで差支えないレベル。

この吉賀町に、初めて下見に来たのが昨年のゴールデンウィーク
実際に引っ越してきた昨年9月を起点にしたら、こちらに来てまだ1年経ってないのですが、今のこの風景はなんだか見覚えが。早くも懐かしいような、嬉しいような。

目次
1.今日も頂きもの たくさん
2.高菜の佃煮

1.今日も頂きもの たくさん

先日、知人の畑(家庭菜園)の畝立てを手伝いに行きました。

自分で書いておきながら何ですが、「知人」という表現が、どうもしっくりきません。
察するに、年の頃は60代でしょうか。
女性なので、年齢聞きずらいところもあります。
そんな大先輩を、「友人」と呼ぶには憚られる気もするけど、「お婆さん」というのはもっとしっくりこない。

そもそも、こちらでは何歳くらいから、「お爺さん」「お婆さん」と呼んだらいいのか、物凄く曖昧です。
実際、僕より体力のある大先輩は、ゴロゴロいます。
なので、「お爺さん」「お婆さん」という言葉は、日常であまり使っていません。

話が逸れました。
話を進める為、敢えて「知人」という呼び方をすることにしましょう。

「料理を作って、人にあげるのが好き」

この知人の口癖です。我が家にとって、なんとも有難い方の一人なのです。
今までも、芋の天婦羅やら、ぼた餅やら、ゆずみそやら、頂いたものは数知れず。
ところが、お返しできるものがなかなか見つからない!

ギブ&テイクどころか、一方的にギブして頂いている、超不平等外交なのです。
他所の台所事情なので首は突っ込めませんが、時々心配になります。
「あげてばっかりで大丈夫?」、と。
そんな大富豪(笑)が、田舎にはゴロゴロいたりするのです。
ありがたや~。


「ホウレンソウ、一人じゃ食べきれんから収穫手伝って!」

この日も、有難いお誘いを頂いていたので、参上。
「当然」という言葉は、この場に相応しくないのですが、
当然ホウレンソウだけで許してもらえる訳がなく(笑)、
サニーレタスやら高菜やら、スーパーの袋いっぱいに野菜を頂いて帰りました。

今日も、たくさんの借りを作ってしまった…。


2.高菜の佃煮

高菜。
今回の話の主役です。

恐らく、関東出身の人にとっては、なかなか馴染みがない野菜です。
そもそも、東の人にはあまり食べる習慣がないのでは?
唯一登場するのは、豚骨ラーメンを食べに行くと卓上にある薬味くらい。
アレだって、僕は替え玉した2杯目からしか投入しない。
家庭の食卓には、まず登場しないのではないでしょうか?

でも九州の方にとっては、とてもポピュラーな野菜なのでしょうね。
ウチも嫁が九州出身なので、会話には何度か登場したことがあります。

そしてこの知人も、九州のご出身。
自宅の裏庭である畑に、関東出身の僕からすると「こんなに!?」という位、大量の高菜を植えていらっしゃいました。
やはりソウルフードということなのでしょう。

「持っていきなさい」

ということで、6株分も頂いてしまいました。
さて、どうしたものか。食べ方がわからない。
意外とゴツいんですよ。

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どう見ても、手軽にサラダとかで納得してもらえるようなタマではない。(笑)
どういうおもてなしが、高菜さんに満足いただけるのか。

知人からは、「一度湯がいて、ゴマ油で炒める」というアドバイスを頂ました。
想像するに、正にラーメン屋のアレです。
ここは王道を進んでみるか。


教えてもらった通り、高菜を湯がき、刻んで、ゴマ油で炒める。
味付けは、醤油と酒と砂糖。
最後に、たっぷりの鰹節をまぶして混ぜる。

出来たのがコレ。
ゴマをまぶしても良かったかな~。

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思いの外、味もまとまった。
見た目は完全にラーメン屋のアレなのだが、砂糖入れたので、どちらかと言うと飯の友、という感じ。

手前味噌ではあるが、自分で作ると美味しい気がするし、何より楽しかった。
嫁も「懐かしい~」と言いながら、食べてくれた。


さてこの高菜、である。
東の人は、仮に八百屋やスーパーの店頭にそのまま並んでいたとしても、まず手に取らないだろう。見た目のとっつきにくさ、かな~???

一方で、好奇心というか、珍しい野菜への興味は、誰しもが持っている気がする。
ロマネスコ、とかスティックセニョール、アイスプラント等々。
アボカドだって、市民権を得たのは最近だと思う。国産とはなかなかいかないだろうけれど。

高菜みたいな野菜が、全国的に市民権を得るには、どういった仕掛けがいるんだろう???なんて考えてみる。

知らない野菜を調理して食べる。
それが美味しかった時、そこには間違いなく喜びがあるはず。

もっとも、そういった野菜が普及するための一番の難敵は、忙しさとか、余裕のなさなのかもしれない。
「料理ごときに時間をかけたくない」、「失敗しないため、扱いやすい野菜が良い」。
日常的に時間に追われていると、そう考えてしまうのも自然なことなのかもしれない。
生活スタイルが複雑な分、都会の方が時間に追われている感は強いと思う。

田舎暮らしだと、ある日突然、大量の野菜を頂くことがある。
頂いた野菜の鮮度はどんどん失われていくので、早いところ料理して、食べてしまわなくてはいけない。
「必要は発明の母」という言葉がある。

案外、今回僕が抱いた思いも、そういった環境による必然なのかもしれない。