ダウンシフトを生きる

「ダウンシフト」、一緒にはじめませんか?

下山の時代を生きる

こんにちは。OGUROBBYです。

「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと」

先日、草刈りをしていて、ふとこの句を想い出しました。
松尾芭蕉の句です。

夏の草って、すごく強いんですよ。
雑草は草刈り機を使って刈るのですが、草の繊維が回転部分に撒き付いてしょっちゅう作業が止まってしまいます。
都度、草刈り機の先端部分をばらして、撒き付いている草を除去するのですが、そうやって草と格闘していると、昔、仕事で必死にかけずりまわっていた時のことが、遠い昔のように感じられたり。

夏の草の生育の早さ、強さに対峙すると、色んなものがかき消されていくのです。

正しい解釈かどうかは解りませんけどね。


目次
1.下山の時代を生きる
2.辺境からの革命 ~島根県隠岐海士町の事例~

1.下山の時代を生きる

今日は、久々に本の話です。
紹介したいのは、こちら。

成功する里山ビジネス ダウンシフトという選択 (角川新書)


「成功する里山ビジネス」
本のタイトル、もう少し相応しいのがある気もするのですが…。

内容はとても面白いです。

これからの日本。
経済成長は間違いなく望めない。

経済成長のある世界を上り坂の時代とすると、今は「下山の時代」。
この下り坂の先にある世界を切り拓いているパイオニアたちにスポットライトを当てたルポルタージュです。

上り坂の時代、ことに高度経済成長期以降は、兎に角作れば売れる時代。
作った者勝ちなので、大量生産が時代に合っていた。
その際最も求められるのが、一定品質の担保。
ボトムが担保される代わりに、クオリティの上限にも限界が生まれます。

しかし、今や潮目が変わり、これからの日本は確実に人口が減少する。
それなのに、人口増加の社会システムや思考のままに、人口減少時代を生きようとしている。

著者はそこを「最大の問題」としています。

即ち、大量にモノを作っても、市場も縮小していくし、そもそもモノが飽和しています。僕自身、人生を振り返ると欲しいものを買うために、お金を貯め、消費をしてきた気がします。

キン消しビックリマンシールファミコンのカセット、
ウォークマン、携帯電話、クルマ、スマホ…。

世代がバレますね。(笑)
気付けば、欲しいものがなくなって久しい。

既に、箱もの作れば上手くいく時代ではないんですよね。
サッカーのW杯日韓大会であちこちに新設されたスタジアム。
今でも有効活用されているスタジアムがどれだけあるでしょうか。

2020年、東京五輪は本当にハッピーなの?
リニアモーターカーは本当に必要なの?

僕も、そんな風に思うわけです。

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2.辺境からの革命  ~島根県隠岐海士町の事例~

この本では、実に色んな方々が紹介されています。
中には一お客としてだったり、講演会に参加させて頂いたり、、、etc.
幸にもご縁を頂いた方々が出てきて、思わずニヤリとする部分もあるのですが、その辺は機会があればまた書くことにします。

今日は、最終章に出てくる海士町について。
最近、色んな場所で海士町の話を聞くんですよね。

教育と地域起こしをテーマにした「革命」が、まことに小さな島から全国に広まろうとしている。
島根県隠岐海士町―。
人口わずか2300人あまり。島内にコンビニはなく、信号も一つあるだけだ。
  (中略)
結局東京から海士町までは、米子まで空路を使っても最短で6時間。まるで人嫌いの隠遁者のような、およそ便利とは対極の「下山の島」だ。

 ところがこの島へ、全国から「町起こし、地域起こし、学校魅力化」等に取り組む若者たちが毎週のように大挙して押しかけている。その理由は2008年に始まった高校魅力化の取り組みに成果が現れて、それまで人口が激減する過疎に苦しんできた地域が、今では持続可能性を取り戻したからだ。
  
  引用元:「成功する里山ビジネス」 神山典士・著

  ※以下、断りない限り引用元は同書です。

 


僕が海士町を知ったのは、およそ2年前。
東京でとあるワークショップに参加したときのこと。
そこでプレゼンされていたのが、この章の主役でもある 岩本悠さん でした。

当時は、移住先として島根県はまったく考えておらず、(苦笑)
岩本さんの「高校魅力化」についてのプレゼンも、

「面白い事やってるなぁ」
「プレゼン上手だなぁ…」

くらいの感想だったのです。
岩本さんの著書は勢いで読みました。
でも何が凄いって、若くして旅行記出版するのも凄いですが、その印税でアフガニスタンに学校を寄付してますからね!

「凄い人がいるもんだな~。」
基本的にはそこで終わってしまってました。


今回、遅ればせながら本書で「高校魅力化」の概要を読み、改めて気付かされたわけです。地域活性化として教育を持ってくる発想が凄いし、実際にカタチにしてきたのは凄いな、と。


海士町の話に戻りましょう。
絶海の孤島に位置する海士町
当然ながら、かつては過疎のトップランナーでした。

でも、そこからの巻き返しが半端ないんです。

まず、当時の町長が自ら給与の50%カットを申し出る。
トップが本気を示さなければ、この苦境は乗り切れないと判断したわけです。
すると、役場の課長職が「俺たちもやります」と続き、彼らの給与の30%カットも決まる。

基本的には、この時浮いた約2億円を産業振興の投資に回す。
新しい冷凍技術であるCASを利用した農水産加工施設の整備や、隠岐牛のブランド化。

投資内容も適切だったのでしょう。
この時手掛けた事業で島には八十数名が移住し、島が活気づくことになります。
岩本さんがやってきたのも、そんな時期だったようです。
彼は、こう言ってます。

『進学だけでなくその先を見て社会で活躍できる、島に戻って地域を元気に出来る人づくりを目指した方がいいのではないですか?島の自然や文化、産業などの地域資源を活用して、学力だけでなく人間力や志も高められるような教育環境をつくるのがいいと思います。それができたら島外からも子供が来るようになって高校も存続します。地域にもリーダーが生まれて持続可能になるでしょう。』

 

僕が東京で参加したワークショップには、ゲストとしてその春に島の高校を出て東京の大学に進学した女の子が来ていました。
最後の彼女のスピーチが素晴らしかった。

島に恩返しするために、大学でコミュニケーション学を学び、保育士として島に戻る…
とても具体的な人生プランを目をキラキラさせて話してました。

この年代で、そこまで具体的に自分のやりたいことを描いている!
自分のことを思い返すと、とても考えられません。

そして、さらに驚いたのは、彼女の出身地。
海士町ではなく、埼玉県だったのです。
都会で育った彼女が、島留学として海士町の高校に通い、島でやりたいことを見つけ、目的を持って大学で学ぼうとしている。
そして、「島に帰りたい」と話している。
どんだけ充実していたんでしょうね!


海士町の高校魅力化の教育内容ですが、僕の記憶を引っ張り出すと、
島まるごと学校化と説明されていた気がします。
生徒たちは学校を出て、島の色んな人々と話をし、自ら課題を抽出して、解決を考える。

だからハッキリするんですね。
「自分はこれをやりたい」、が。


改めて、前述の女子学生の話を聞きながら、自分の学生時代を思い出して恥ずかしくなりました。

「少しでも偏差値の高い学校に入りたい」
「良い給料をもらいたい」

そんな思いだった気がします。

最近は就職活動で残業時間を気にする学生が多いのだとか。
中には、実際に夜志望企業を見に行って、オフィスに電気が点いているかを確認する学生もいるのだそうです。

時代が変わり価値観も変わったということなのでしょうが、学生の本質は変わっていない気がします。
「他人より良い条件で働きたい」


里山資本主義」の藻谷浩介さんが、地域活性化の最終段階は、地域内経済の循環だと言ってました。結局、有名人がいる、とか有名な場所がある、ではダメなんですよね。仮に、そこを目当てに移住者がやってきたとしても、目当ての人、場所がなくなってしまったら、移住者はまた出ていくでしょう。

点ではダメ。
地域の中でお金が回る仕組みがあって初めて、持続的な地域活性化になるのでしょう。