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ダウンシフトを生きる

「ダウンシフト」、一緒にはじめませんか?

「ふきのとうみそ」をつくる

こんにちは。OGUROBBYです。

先日、玉葱を植えさせて頂いている畑に、草むしりに行ったときのこと。
「ピーヒョロロ」という声で見上げてみると、1匹の鳶(トンビ)が飛んでいました。
他に人影ならぬ鳥影はなく、贅沢にも大空独り占め状態!

じーっと見ていると、鳶って翼をピーンと張ったまま、
グライダーのように滑空していきます。
その姿は、本当に優雅。
自分が鳶だったら気持ち良いだろうな~、なんて。
高所恐怖症であることもつい忘れて、思ってしまうわけです。(笑)

そんな中、1羽の別の鳥影が、鳶に近付くではありませんか。
鳶より二廻り位小さな、真っ黒い鳥。
カラスでした。

上空で一瞬交錯したように見えましたが、次の瞬間、鳶は180度方向転換し、カラスもそれを見届けるかのようにして、引き返しました。

カラスが身を挺して、巣でも守ったのだろうか!?
目の前で繰り広げられたドラマに、胸がざわつきました。

冬が終わり、春が来る。
人間も色んな活動を始めますが、自然界も、これまでとはちょっと違うフェイズに入ってきます。

玉葱の苗も、冬を乗越えて随分逞しくなってきた気がするし、雑草も種類が変わってきた。春だな~。

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ちなみに、飛翔中に鳶とカラスが争う光景は良くあるのだそうです。
両者の食物が似ているため、一種の競合関係にあるのだとか。
なるほどね。


目次
1.ふきのとう あれこれ
2.「ふきのとうみそ」をつくる


1.ふきのとう あれこれ

「ふきのとう」。
漢字で書くと、「蕗の薹」。
音では聞いたことあっても、なかなか馴染みのない方も多いと思います。

「2月になると、ふきのとう が出てくるんよ~」

そんな話を、冬の間は何度か耳にしました。
春の息吹の代名詞として、随分定着しているようです。
とは言え…僕も、「ふきのとう」と言われても具体的な画がイメージできなかったんですよね。実物を見た事がなかった。

待ち遠しい春への期待も相まって、そりゃもう、とっても甘美な響き。
期待感だけがグングン膨らみました。

ちなみに、2月は体感温度的にも、れっきとした真冬なんですけどね。


そんな中、頂いた「ふきのとうみそ」が、とても美味しかった。
あの独特なほろ苦さ。清涼感すら漂う。
取り敢えず、ご飯何杯でもいける感じです。

一体、どんな姿をしているんだろう!?
認識できていな/ければ、仮に出会ってても、永遠にすれ違いなわけですよ。
昔のトレンディードラマのように。


それがある日、感動の対面を果たします。
既に時代は平成29年
永遠と感じられるような、すれ違いがウケる時代でもない。(笑)

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「持って帰って、味噌汁にでも入れて食べんさい。」
そんな風に声掛け頂きまして、初めて摘ませて頂きました。
ポキッと。

ウィキペディアによると、水が豊富で、風があまり強くない土地を好み、繁殖するのだそうです。

一度分かってしまうと、結構見つけられるものです。
なにしろ、鮮やかな黄緑色。
この季節では独特な色合いです。

山の恵み、春の恵みに感謝!





2.「ふきのとうみそ」をつくる

では、早速採集した「ふきのとう」で調理を行います。

「ふきのとうみそ」を作ろうと思ったのは、たまたま頂いたものが、とても美味しかったから。今回は、そのレシピを聞き込んで、再現してみました。


①下処理

まずは洗って、外皮を剥きます。
汚れている部分だけを取り除くイメージです。
地下茎部分(見た目上は、「根っこ」)は毒性が強いらしいので、きっちり取り除いて下さい。


②ふきのとうを刻む

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上の写真では、蕾の根元から輪切りの要領で切っていったら、みじん切りみたいに仕上がってます。
海苔巻き切るのに失敗して、具とご飯がバラバラになってしまった感じですかね。
例えが無理やり感満載ですけど。(笑)


③灰汁抜き

刻んだ ふきのとう を笊に入れ、水に浸します。
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この通り、茶色くなっているのは灰汁です。
まだ肌寒い中芽を出してくるだけあって、なかなか灰汁の強いヤツです。

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水が透明になってくるまで、繰り返し灰汁を抜きます。

塩水で茹でる灰汁の抜き方もあるようですが、香りを損なわないよう、水に浸けています。


④炒める

灰汁抜きして、水をしっかり切って、しんなりしてくるまで炒めます。

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思わず、餃子の皮とかに巻いてしまいそうです。


⑤仕上げ

しんなりしてきたら、味噌と砂糖を投入です。

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この間仕込んだ我が家の味噌は、早くても梅雨明けまで使えません。
今回は鹿児島の義母からもらった麦味噌を使いました。

先生から習ったレシピは、味噌と砂糖だけですが、味噌が固めだったので味醂も入れました。当然ですが、味噌が溶けるので、分量はご注意を。

 - Feel the force -
かつてヨーダやオビ=ワンも言ってました。
味噌、砂糖の分量は、フォースを感じて下さい。
優秀なジェダイになる第一歩です。(笑)

ネットで見ても、調味料の種類や分量はまちまちです。
ふきのとうのサイズや、味噌の塩分濃度によっても変わると思うので、自分を信じて、好きな味付けにするのが良いんでしょうね。

取り敢えず、僕の場合ですが、
味噌の量は、見た目のバランス重視。
砂糖の量は、味見しながら調節しました。

熱いうちは、ふきのとうのエグみが強いですが、冷めると案外落ち着くようです。

最後に、これだけは言わせてください。(笑)

― May the force be with you ! ―

確定申告に行ってきました

こんにちは。OGUROBBYです。

ここに来て、日に日に春を感じることができるようになりました。
昨日、一昨日あたりは、朝起きたら鶯の声。
春の到来を感じます。
と言いつつ、先週はいきなり雪が降ったりもしてるんですけどね。


越して来た当初、とても新鮮だった川のせせらぐ音は、何となく日常に溶け込んでしまった感もあるけれど、季節のように移ろうものは、やはりインパクトがあります。

僕は鳥フェチではないのだけれど(多分)、
昔に比べれば随分興味を持つようになりました。

例えば、ウチの裏の田んぼに冬の間よく来ていた白黒の鳥。
水のない田んぼをチョンチョンと歩いては、何かしらついばんでます。

「最近、よく会いますね。ところでお名前は?」

相手が人間なら、そうやって話しかければ答えが返って来るのですが。(笑)
毎日に近いくらい顔を合わせていれば、そりゃ名前くらい聞きたくもなります。

目に焼き付けて、ネットで名前を探してみても、今一つ確信が持てない。

「せめて写真を撮れれば、誰かに聞ける。」
そう思っても、僕のスマホのカメラでは全く捉えきれない。
携帯のカメラではズームに限界もあるし、警戒心が強いので、ちょっと身動きしただけで逃げてしまう。

お姿を見掛けるたびに、もどかしい想いをしていたのですが、先日とうとうお名前を伺うことが出来ました。近所の温泉で。

「そりゃ、セキレイだね。」

湯船に浸かりながら、顔見知りの方に聞いてみたのです。
「白黒の…」「これくらいの大きさで…」

それだけで良く解ったなぁ…とは思うのですが、ネットで検索してみて納得。セキレイですね。

それからというもの、セキレイ君を見掛ける度に、愛着をもって眺めることができています。やはり、名前って大事ですね。

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  写真引用元: 日本野鳥の会



目次
1.源泉徴収票って何ですか?
2.おカネと向き合う
3.サラリーマンと個人事業主
4.確定申告に行ってきました

1.源泉徴収票って何ですか?

突然ですが、「源泉徴収票」ってありますよね?
サラリーマンの方には、お馴染みの物だと思います。
あれ、ちゃんと見たことありますか?

恥ずかしながら、僕はほとんど見たことが無かった。
昨年8月にサラリーマンを辞めるまでの16年間、毎年もらっていたはずなのに。

源泉徴収票」って紙は、毎年もらっていたのは認識していたんですよ。
でも、中身をよく見ず、もらった瞬間に鞄にしまっていた。
そして、何事もなかったようにパソコンの画面に戻るのが常。

経験則で、「源泉徴収票」は貰いっ放しでも、大きな問題は何も起こらないことを知っていたんですね。
そんな事より、目の前の資料だったり、メール作成の手を止める方が、よっぽど怖かった。悲しいかな、これも身をもって知ってました。早めに対処しておけばボヤで済んだ仕事も、対処が遅れれば大火事になることもある。

源泉徴収票」も、多分、社会人1年目の時は、ドキドキしながらやり過ごしていたんだろうけど、そんな感覚は、今となっては全く憶えていない。

ところが、今回は向き合わざるをえない。
僕の代わりに確定申告をやってくれる会社はないので。


(取り敢えず、、、「上手く出来ているもので…」と言っておきますが、)

現代の日本において、サラリーマン(この場合は、派遣労働やアルバイト等、「給料」を貰いながら働く人すべてを含む)である限り、納税は全て勤務先が代行してくれている。と言うか、僕らの銀行口座に振り込まれるお給料は、既に税金を差っ引かれたもの。

源泉徴収票とは、法人(雇用主)が、従業員(被雇用者)の給料(収入)から社会保険料等を控除し、所得税を計算した結果なのです。

だから、「源泉徴収票」をもらった傍から放っておいても、「あなた、納税の義務を果たしていませんね」と指摘を受けることはない。
あなたの手取りは、既に引かれるものは引かれていますから。


ただ、納税義務はすべての国民に等しくあるわけで。
勤務先がないのであれば、自分でやるしかない。



2.おカネと向き合う


僕が小学生のころ(少なくとも低学年)、お小遣いは月に500円もらっていました。
毎月、コロコロコミックで330円が消え、残るは170円。

少年ジャンプが170円だった時代。
ジャンプを毎号買う購買力は、当時の僕にはなく、毎週友人のを読んでいた気がします。従い、残る170円は近所の駄菓子屋さんに消えていったはず。
一括でなく、分割で。(笑)

何にせよ、500円を毎月きっちり使い切っていた。
10円も余すことなく。

中学、高校、大学と小遣いだったり、アルバイトだったり、入って来る金額は大きくなったけど、基本的にはどれだけの収入があるかは把握していた。
大学生の時は、長期休みをバックパッカーとして海外で過ごす時間も増えたけど、そのために「いつまでに、〇〇円稼ぎたい」という明確な目標、計画も持っていた。


そんな風に機能していた僕なりの計画経済が、狂い始めたのはいつの頃だったか。

社会人になりたての頃は、今まで買えなかったものが手に入る喜びを味わった。
友人から外食に誘われても、気兼ねせず行けるようになった。
マイカーを手にした。(中古だけど)
本屋さんで新刊を、興味本位で買えるようになった。(今でもハードカバーの本を買うのは躊躇する)

けれども、同時におカネに対する敬意も、徐々に失っていったように思う。
雇用されていれば、一定の収入は定期的に振り込まれる。
その状況に慣れれば慣れるほど、おカネへの敬意・関心が薄れていった気がする。
毎月の給与明細もあけなくなった。

代わりに、お金より時間が欲しくなった。

特に、30歳で転職してからは、最初に就職した会社に比べ、勤退時間の管理がべらぼうに厳しかった。基本的に、サービス残業を許さない仕組み。
当然残業規制はあるのだけど、仕事量が膨大過ぎ。

「残業代要らないし、むしろお金払うから、残業させて欲しい」

そんな冗談を、よく耳にしました。

ここまで来ると、おカネに対する敬意なんてゼロに近付いて来ますよね。
そのくせ、仕事(ペーパー)上のお金に対しては、とてもシビア。
1円の差を説明するのに、数時間かけて資料を作成しなきゃいけなかったりもする。


生活するためにおカネは必要。
自立するためにも、おカネは必要。

そしておカネがあれば、出来ることが増えるのも確か。
一方でおカネそのものを追い求めすぎると、今度はおカネに使われてしまう。

極端な話だが、行き過ぎれば、おカネの為に戦争起こす人も出てくるだろう。
戦争と言う名の スクラップ&ビルド。
多額のおカネ、マネーが動く。

使う人、その人が今置かれている状況を、映し出してしまう。
鏡のように。
おカネって、不思議なものです。

セコくなる必要はない。
でも、おカネと向き合い、おカネに敬意を払う。
それが「足るを知る」ということだと、今は思います。


3.サラリーマンと個人事業主

そんなわけで、僕は今までは会社任せにしてきた確定申告を、今年は自分でやらなくてはいけない。

確定申告というのは、簡単に言うと税金を確定させるために、1年間の所得を確定させること。収入から必要経費を引いて、所得を計算します。
毎年(1月~12月)の所得を、翌年2月に税務署に申告します。

その準備・対策と言うと聞こえが良いですが、年が明けて1カ月余り…確定申告の ‟イロハ” について勉強しました。
ハッキリ言って付け焼刃なんですけど。(笑)


税金とか確定申告の中身については語りませんが、サラリーマンと個人事業主の違い。
目から鱗でした。
いや、個人事業主の方からすれば、ごくごく当たり前の世界なのでしょう。

東京にいる頃、とある個人事業主の方から、こんな言葉を聞いたことがありました。  
 「【after tax】の生き方か、【before tax】の生き方か」

今回、実際に確定申告書を作成してみて、その言葉がすごく腑に落ちました。
(先に言っておくと、どちらが良い、悪いの議論をするつもりはありません。)

前者は、所謂サラリーマン。
銀行口座に振り込まれるお給料は、税引き後のものです。

サラリーマンであれば、全て勤務先が所得税の納税を代行してくれる。
ただ、お給料を出発点にした場合、おカネに対しては受け身になりやすい。

昨年8月に退社した僕も、所得税を結果的に払い過ぎていました。
その場合、確定申告をすることで払い過ぎた分が還付されます。
行動したから得られる、実にフェアな結果です。


税金に関して、国は足りないときは追徴課税してきますが、取り過ぎたときは何も言ってこないのです。国としては、貴重な埋蔵金です。


他方、個人事業主の手元に収入として入って来るのは、当たり前ですが、税引き前のもの。だから、自分で確定申告をして税額も確定しなくてはならない。

「自分でやる」ということに意義がある気がします。自分でやるから見えてくることがある。だから工夫の余地もたくさんあるのでしょう。

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4.確定申告に行ってきました

 ある雨の2月某日。
僕は作成した確定申告書を持って、山を下りました。

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税務署なんて足を運んだのは、人生初と言って過言ではありません。
最寄り税務署まで約40km。

季節柄なのか、何かものものしく感じてしまうのは、税務署の空気に慣れてないからでしょう。
それにしても、入口周辺の文字の多さ。(笑)
そして、ポスターの女性の目が笑っていないのは、恐らく気のせいでしょう。


確定申告期間というハイシーズンだったためか、署内はなかなかの慌ただしさ。
自動ドアを潜るなり、用件を聞かれました。

受付カウンターに書類を提出し、簡単に内容のチェックを受けます。
と言っても、記入漏れがないか確認する程度で済みました。
もっとバシバシ質問来るのかと身構えていたのですが、中身の精査は後日のようです。ホッ。

控えの確定申告書に、受領印を押して頂き、今年の確定申告書類の提出は終了。
作成に要した時間を考えると、あっけない位。

これからは、毎年これをやることになるんだなぁ。
これも経験と思って、精進します。
 

味噌をつくる

こんにちは。OGUROBBYです。

ちょっと前の話になりますが、近所のクルマ屋さんから「わさび漬け」を頂きました。
白い粕漬みたいな時々数の子が入っているやつではなく、醤油漬け。(※)
これがメチャメチャ美味しい。酒のアテにもピッタリです。

 ※僕の生まれ育った関東では、わさび漬けというと、まず酒粕に漬かった白いヤツを指します。

美味しすぎて、一晩で半分食べてしまいました。

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聞けば、わさび漬け、ご主人の手作りとか。
葉わさび(山に生えている山葵の葉っぱ)を取りに行くところから、自分でやられているそうです。わさび漬けの他にも、これまで自家製の大根やら、白菜やら色んなものを頂きました。

畑もやり、猟もやり、わさび漬けもやり、クルマ屋もやる。
どれが本業だか解りません。
半農半Xの究極型かも。(笑)
Xがたくさんで、リスクヘッジにもなる。

あ、クルマ屋と言っても、よく町にあるような、ガラス張りのショーウィンドウがあって車を展示しているような、所謂ディーラーじゃないですよ。
町工場(こうば)みたいな、個人経営のお店です。
所謂ディーラーらしいディーラーは、ここ吉賀町にはありません。

そして店舗、というか工場の事務所に、ふらっと地元の人がやってくる。
クルマのメンテは、個人では限界がありますからね。

やり取りを見ていると、店主と客と言うより、近所付き合いの延長のような。
客に対して、「早く帰れ」みたいな軽口があったり。
スーツにネクタイの人からは、絶対に聞けない。(笑)
でも信頼関係なしには、言えない言葉です。

  「昔の百姓は何でもできた」

何かの本で読んだのか、誰かから聞いたのか。
元ネタは忘れました。

「百姓」という位だから、百個のことがやれたんです。
さっきの例で言えば、山の管理をやるから山葵の生えているところも知っているし、畑や田んぼを守るために害獣駆逐の猟もできた。

「農」という共通言語があって、そのうえでのナリワイ。
そんなことを感じました。

さて、今日も前置き長いですが…。


目次
1.味噌のつくり方
2.味噌をつくる
3.菌の力

 


1.味噌のつくり方

白味噌(コメ味噌)、赤味噌(豆味噌)、麦味噌。
一般的な味噌の種類と言えば、こんなところでしょうか。

味噌の嗜好は、生まれ育った地域によってさまざまだと思います。
料理や具材によって使い分ける方々もいるでしょう。

一つ言えるのは、総じて味噌は「買うもの」というのが現在の日本ではまだ大勢かと。


移住を意識するようになって、東京でも味噌作りの話はチラホラ聞いてました。皆さん、決まって言うんですよ。

「案外簡単。そして美味しい。」


こちらに越してきて、手作り味噌を頂いたりする機会も増えました。
美味しいというのは納得。

工程についても、そんなに複雑なものではないようです。
以下は白味噌の工程ですが。


 ①大豆を水に漬け、一晩寝かす。
 ②大豆を煮る。
 ③大豆と麹、塩を混ぜ、豆をよく潰す。
 ④空気に触れないようにして、よく寝かす。

基本は、たったこれだけのようです。


2.味噌をつくる

さてさて、では味噌づくりの実践です。

初めに断っておくと、あまり写真が撮れていません。(泣)
分量や時間の管理も、何となくでしか書けていません。
味噌づくりの雰囲気だけ味わっていただくのが目的です。

万が一、物好きな方が、当ブログを参考に味噌を仕込み、失敗したとしても、
当ブログでは、一切の責任を負いかねますので、ご了承下さい。(笑)


今回、味噌づくりに参加させて頂いたのは、町内の加工所。
麹から自製するため、2回(正確には 半日x2回)、加工所に行く必要があります。
事前に予約を入れ、まずは初日に麹を作る。
中1日空けて、麹の完成を見計らって、味噌を仕込みに行く。
そんな時間軸です。

作業は、加工所の方が数名。(僕らの時は3名)
それと、麹を作りに来た人たち、味噌を仕込みに来た人たちで一斉に行い、最後はみんなで後片付けして終了。
朝8時から始めて、2回とも昼頃には終了しました。
終了時刻は、恐らくその日の作業量と人数にもよりますね。


それでは、実際の作業の雰囲気を。

まずは麹作り。

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蒸したお米を冷ましています。
肝心の蒸す条件は把握できていないのですが、米にまだ芯が残っている感じ。
この後混ぜる麹菌が熱に弱いため、ここでしっかり冷まします。
写真は、上から団扇で煽ぎながら、撹拌して冷ましているところ。
米自体に熱があまり感じられなくなる位まで、ひっくり返し続けました。

材料は、皆さん思い思いの米、大豆を持ち込みます。
農家さんが多いので、自分で育てた米、大豆という方も多いです。
手に粘りついてくる米もあれば、パラパラの米もありました。
米の品種、なんですかね?

加工所では、「〇〇さんの分」として、各工程ロットに分けてやるので、材料が混ざる心配はありません。

麹菌は、緑色の粉末でした。昆布茶みたいな。
目安は、米1升(1.5キロ)に対して、麹菌0.75グラムだとか。

麹菌が先の蒸し米に満遍なく行き渡るように、再度撹拌。(手で)
混ざった後は、30℃位に保温して寝かす。


2日後の朝の姿が、この通り!

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所々、塊があるように見えますが、触るとパラパラと崩れます。
僅か2日前は蒸し米だったという事実を、微塵も感じさせません。

昔、羽柴藤吉郎は、一夜にして墨俣に城を築いたと言いますが、いやはや。
麹菌の力、恐るべし、です。
一夜ではないですが、二夜にして、蒸し米が米麹に変わってしまいました。


その麹に、塩、煮た大豆を混ぜていきます。
ここで塩を入れるのは、保存性を高めるため。
塩分濃度は10-12%です。

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ここで混ぜる工程も手でやりました。
何か、童心にかえれる瞬間です。

昔、公園の砂場で、山作ったり、トンネル掘ったり、遊んだなぁ…。
でも、こういう感覚も、ちょっとした町の感覚なんですよね。
この辺りでは、公園なんて必要ないし、そもそもないから。
子供たちは、普通に山や川で遊んでいるようです。
プールも必要ないですね。


味噌として仕込む前に、大豆、麹を潰す工程もあるのですが、今回は加工所の機械を使いました。
製麺機のような機械。
先程の写真の大豆・麹を投入すると、大豆、麹が麺のようになって出てくる。


※以下写真はイメージです。

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上の写真はパスタ作ってる写真を拝借したものですが、このパスタの部分が、大豆・麹がミンチ状になったものになります。

これを丸めて、ハンバーグを捏ねる要領で空気を抜きながら、桶などの容器に詰めていきます。完全に真空にすることはできませんけどね。(笑)

空気が混じると、カビの原因にもなります。
実はこの工程が一番疲れる作業でした。中腰だし。


そして、無事、仕込むことが出来た我が家の味噌です。
材料は米4.5キロに大豆2キロ。
完成した味噌は12キロになりました。

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加工所の中では、あちこちで今年の味噌仕込みが終わった事に安堵する声が。

 「これでまた、1年分の味噌が頂ける。」
 「味噌を作ると、春という感じがする。これからは草むしりだな~。」

味噌づくりも、1年の中のルーティーンなんですね。
春の到来=農閑期のフィナーレを飾るイベントが、この味噌づくりなのかもしれません。

今回仕込んだ味噌は、早ければ今年の梅雨明けには食べられるそうです。
さてさて、どうなりますか。


3.菌の力

それにしても、今回見た麹菌の大活躍は凄かった。
発酵(菌)の力を、まざまざと見せつけられた感じです。
どんなに科学が進歩しても、機械が菌と同じような仕事はできないでしょう。
仕事量もさることながら、人体に悪影響も及ぼさない。
寧ろ、健康に寄与したりもする。

前回の記事で触れたタルマーリーさんなんかは、パンを発酵させる天然菌を求めて引っ越しちゃったパターン。

菌は偉大だ。(笑)


そして、前回の記事で触れた講演会の延長で、山崎さんの本を読んでいたら、ビビッとくるものがあった。
良いファシリテーションと、菌の力は似ている。多分。


ファシリテーション」という言葉と出会って、1年強。
初めの頃は、「ファシリテーション」と「司会進行」の違いは何やねん!と思ってました。何でも横文字にすると、格好良いこと言っているように聞こえますよね。

時間の経過とともに、「ファシリテーション」がどういう意味なのか、イメージが自分の中に構築されていくのを感じていましたが、その本にズバリ書いてあったんです。

ファシリテーションとは、)単なる司会進行役ではない。発言しやすい雰囲気を作ったり、参加者同士が協力しやすくなるゲームをしたり、発言した本人が気づいていなかったような意見を引き出したりする。

 引用元:山崎亮 「コミュニティデザインの時代」

 

コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)


司会進行の究極の目標を、自分の望む結論へ議論をもっていくことだとすると、司会進行とファシリテーションは目的が全く異なる。

ファシリテーションは、まずは相手に寄り添い、相手自身が気づいていなかった意見や個性を引き出す。
これまでで一番、肚にストンと落ちる説明でした。

もっとも、これまでの説明も、同じようなものだったのかもしれませんが、物にはタイミングってありますもんね。


良いファシリテーションと、菌の力は似ている。

タルマーリー、大島芳彦 そして 山崎亮  (※敬称略)

こんにちは。OGUROBBYです。

先日、雪の降りしきる中、広島まである講演を聞きに行ってきました。

この日は朝食を済ませた後、出発に向け、約1時間の雪かき。
町道まで出れば、他のクルマの轍を利用することができるのですが、
雪に埋もれたクルマを救出し、町道までの轍を作ってやらないと、何処にも出掛けられないわけです。

長靴の裾まで雪が来ていたので、この時点で積雪量が30cmはあったでしょうか。

雪を掻いて、一カ所に集める。
この繰り返しなのですが、雪って結構重いんですよね。
腰を傷めないように、一歩一歩着実に掻き出し、轍を作っていきます。

ただ、やり始めるとこれが案外面白い。
ランナーズハイ、ならぬ ショベラーズハイ とでも申しましょうか。

「早くしないと、用事に遅れるよ」という心の声と、
手を緩めたとたんに冷えた汗の冷たさで我に返るのですが…。(笑)

ともあれ、気づけば想像以上の汗。
このまま出掛けたのでは、風邪を引くことは必定。
ここで、まさかのお色直しです。

頭も雪でビショビショですし…。
フード付きのジャンパー、あれがここでは必須です。

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のっけから、慣れない雪にドタバタ。
しかも広島市内ではカーナビの導くままバスターミナルへ侵入してしまい、違反切符を切られるオマケ付き。(苦笑)

が、そんなこと忘れられる位、面白い話が聞けた一日でした。

あ、お巡りさんの話じゃなくて、講演会の方ですよ。(笑)



目次
1.「当たり前のことを、やり続ける」
2.「当事者がいるかどうか」
3.そして感想

 

1.「当たり前のことを、やり続ける」 (タルマーリー)

この日、僕たち夫婦が参加させて頂いたのは、広島県主催の「ココロザシ応援プロジェクト すっごい交流会」。
来月(2017年3月)から開催される「さとやま未来博」の一環として、広島県が地域の活動を応援するためのプロジェクトです。

ファシリテーターを山崎亮さんが通しで務め、ゲスト三組と一日かけて順番にトークセッションを行うものでした。

ゲストは順に、

 第一部: ナガオカケンメイさん(デザイン活動家)
 第二部: タルマーリーの渡邉夫妻(パン屋)
 第三部: 大島芳彦さん(建築家)


僕たちは、第二部の タルマーリー x 山崎亮 から、聴講することができました。
会場の定員は250名だったようですが、ほぼ満席。


講演は、「タルマーリー」の自己紹介から始まります。

「タルマーリー」とは、鳥取県智頭町にあるパン屋さん。
国産小麦と天然菌にこだわって、パンを製造、販売。
最近はビールも製造、販売しています。

元々、千葉県の外房で渡邉格(イタル)さん、麻里子さんのご夫婦で開業。
素晴らしい菌(自然)を求めて、その後は岡山に移転。
現在は、人口7,500人の智頭町で「タルマーリー」を経営されています。

「イタル と マリコ で、タルマーリー」

そんな漫才のような掛け合いで、講演会は始まりました。


タルマーリーの凄さは、【当たり前のこと】を、やり続けていることだと思います。
【】で括ったのは、一般の「当たり前」からは、全くかけ離れているからなんですけど。(笑)

曰く、タルマーリーを千葉で開業した2008年当時、「国産小麦と天然菌」を売り物にしたパン屋は、当たり前にあったのだそうです。
ただし、「実は天然菌にイースト菌も混ぜて使っているパン屋」、
或いは、「天然菌だけのパンも売っているけど、イースト菌のパンも売っているパン屋」が殆ど。
消費者目線では、何がどんなパンなのか判らなかった。

だから、「国産小麦と天然菌だけのパン屋」をタルマーリーの原点にされたそうです。

この思想が、どれだけ突き抜けたモノなのかは、恐らく実際のパン屋さんでないと、解らないのでしょうね。
菌を求めて、智頭町まで移住。
空気中の菌を化学物質で汚染しないよう、ファブリーズやカビキラーは勿論、歯磨き粉まで使わない生活をされています。

昔はそういうパンの作り方が当たり前。
ファブリーズもカビキラーもなかったので。
でも今や、、、その作り方は当たり前ではないですよね。

「うちのパンは結構美味しくない。」
格さんの冗談(?)です。
付け加えると、美味しいパンではなく、意味のあるパンだ、と。

一般に、卵、バター、砂糖を使うとパンは美味しくなります。
それらを使わないことで、タルマーリーにしか出来ないパンになる。
そして、「中には美味しいと言う人も出てくる」、のだそうです。


渡邉さん夫妻のトークのテンポも素晴らしかった。
格さんの冗談が会場を引き込み、麻里子さんがズバッと切り込む。

実際の経営でも、きっちり役割分担をされているのだそうです。

 格さん:   パン製造、ビール製造、DIY
 麻里子さん: 経営(販売、経理、スタッフ管理 etc.)

麻里子さんは、「地域内循環」を、最初から強く意識されていたそうです。
昔、格さんが美味いバゲットを焼くために、フランスから小麦を取り寄せようとしたら、麻里子さんにぶっとばされた、と。(笑)

現在は、地域内で環境保全的な農業をやる方から、小麦やトマト等を市価の2倍、3倍の価格で購入されているそうです。

「自分のためにやることが、社会を良くしていくことにつながる」

トークの役割分担も、完璧でした。

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現在に至る過程で、何か特別な発明があったわけではない。
敢えて言うと、「愚直にやり続けること」が、タルマーリーという個性を作り出す。そんなタルマーリーの存在に、勇気をもらう人は沢山いるだろうなぁ。


ちなみに、ご主人の格さんは、『田舎のパン屋が見つけた「腐る」経済』も執筆されています。こちらも面白いですよ。

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」


タルマーリーのホームページはコチラ。

自家製天然酵母パン&クラフトビール&カフェのタルマーリー





2.「当事者がいるかどうか」 (大島芳彦)


続く第三部は、建築家の大島芳彦さんです。
恥ずかしながら、僕は今回の講演で初めて大島さんを知りました。

建築関係には、今まで殆ど興味をもってきませんでしたから。

東大寺正倉院=校倉づくり」。
僕の建築関係の知識は、そこで停まったまま。

東京にいるときも、建築家の方が書いたまちづくりに関する本を読みました。
 嫁、大絶賛。
 僕、「一応、読んだけどそれだけ」。
何?この小学生以下の感想文。(笑)

建築アレルギーと言って、ほぼ支障ないレベル。
有難いことに、移住してDIY的なことも経験し、アレルギー的なものは改善されつつあります。

そんな僕が聴いても、今回の大島さんの講演は面白かった。


質問コーナーで、こんなやり取りがありました。

参加者
「隣町の小学校が2年後に廃校になります。廊下も真っすぐできれい。何とか保持、活用したいと思っているのだが、山一つ越えた隣町に住む自分が、どうやって関わっていったらよいか?」

この質問に対する、大島さんの回答が圧巻でした。
その場で、簡単に状況を聞き込んだ後、こう回答したのです。

「今のお話からすると、小学校を残したいという当事者がいない。
当事者がいないのであれば、校舎の保持を考えるよりは、校庭を畑にして、地域で活用した方がいい場合もある。」

衝撃的でした。
古いもの=良いもの という価値観、あると思うんです。
この小学校なんて、正に最たるもの。
ところが、です。
建築家である貴方が言うか!?、と。
ある意味、ハコの否定ですよね。(言い過ぎかな~???)

リフォームとリノベーションの違いの説明も納得感がありました。

 Re-form:     作り直し方
 Re-innovation:   使いこなし方

つまり、Re-form は、ハコを作って(作り直して)、引き渡してオシマイ。
これに対し、Re-innovation は、そのハコを「どう使いこなすか?」を考える。

そして、大島さんの所属する blue studio は、使いこなし方を考える設計事務所
そんな大島さんによる、地域づくり、まちづくり。


「地域の日常にこそ、価値は潜む」


「地域との間に連続性がなければ、地域づくりにはならない」、と解釈しました。
当事者を増やしていかないと。

当事者になることに価値を見出せたら、人は入って来る。
大事なことは、当事者になりたい人が真似できるかどうか。(再現性があるか)
例えば、都会で大人気の鯛焼き屋さんが田舎に移転しただけでは、地域づくりにはならない、という話もありました。

同じビジョンを持ち、一人一人がそれぞれ自分の言葉で語ることができるようになる。それこそが、地域づくりである、と。


大島さんは続けます。
「皆さんのため」は、実は「誰のためでもない」。
「あなたのため」を明示していくことで、当事者も増えるし、地域との連続性は生まれる、と。


大島さんへの予備知識がなかった分、フラットに聴くことが出来ました。

「当事者かどうか」

そう言えば、サラリーマン時代も耳にしていた気がするなぁ。
雇用されているからといって、当事者であるとは限らないわけです。


3.そして感想


そして、この日の講演会を語るうえで、外せないのが山崎亮さん。
ファシリテーションが、とても上手だった。

本当は第二部のタルマーリー終わった時点で帰るつもりだったけど、あまりに山崎さんの進行が上手で、進行を聞くためだけに第三部も残ってしまった。(笑)
結果、大島さんの話も面白かったので、正に棚ボタ。

山崎さんのファシリですが、テーマ管理、時間管理は勿論のこと、
上手に笑いを引き出したり、聴講者の???な質問に対しても、誰も不愉快にさせることなく、進めていました。

「凄いな」と思ったのは、第二部の質問コーナー。
聴講者の方から、こんな質問が出ました。

「成功された理由を3つ教えて下さい」
会場は、質問者自らが「3つ」と絞る斬新なやり方に、ややどよめき。

「3点ですか。2つはこれまでの話でもう出てきた気がするのですが…」
山崎さんは、そんな風に渡邉夫妻につないでいました。

この冷静さ。びっくりしました。
もし僕が進行任されていたら、相手のトークに耳を傾けつつも、気持ちの半分は「次は何を聞く」「こういう切り込み方をしよう」と考えてしまいます。
日常会話でも、そういう事はままあるかも。
相手の話を丁寧に聞き、きちんと頭の中に整理して格納している。凄い人だ。

ご自身がトークの主役として呼ばれても全く違和感ないのに、一切の自己主張を置いて、進行に徹する辺りも流石の一言に尽きます。


山崎さんからは離れますが、もう一つ驚いたのが、この地方のポテンシャル。

この日は「すっごい交流会」と銘打たれたイベントでした。
交流できる仕組として、各部の質問コーナーの前に、隣前後の席で自由にグループを組み、自己紹介から質問事項の共有を行うようになっていました。

何が驚いたって、この日話した3組の方全て、既に何か始められているんですよ!
例えば、耕作放棄地となった地域の茶畑を復活させよう!とか。

世羅茶がんばっとるけ〜ね - 世羅茶再生部会


僕らのように、野次馬的なノリで参加した人は周りにはいなかった。(笑)

これは広島という都市の規模がなせる業なのかもしれません。
ちょっと行けば里山が広がってますから。

仮に東京で同じ催しを開いたら、会場が超満員になるのは間違いない。
でも聴衆のほとんどは、都心に住む人々になるでしょう。
実践者がこれだけ集まるっていうのは、ちょっと考えられない。

里山に住む人々が、当事者として、それぞれに問題意識をもってイベントに参加している。意外と日本の最先端の姿かもしれないな。

丹念に暮らす

こんにちは。OGUROBBYです。

血液型の話って、よくあると思います。
僕はO型なのですが、実は7-8年前まで、自分の血液型をA型だと思い込んでいました。

両親は共にA型。
小さい頃からA型だと言われて育ち、以降、一切疑問は持たず。
若い頃は落ち込むと、「典型的なA型だな。なんでこんなに不器用なんだろう。」と思ったりもしたもんです。
苦手な人にB型が多かったのも、自分がA型と思い込むのに拍車をかけたのかもしれません。

転機は、7-8年前にふらりと寄った人生初の献血
人生初のマラソン大会(5km!)に行った帰り、近所のスーパーの駐車場で献血のクルマが停まっていたのでした。

当然ですが、献血前に血液型のチェックをします。

「O型でよろしかったでしょうか?」
「は???そんなわけないですけど。マラソンで疲れているので、血液の組成がいつもと違うんでしょうか?」

そんなありえない発想が出てくる位、動揺していたんですね。
隣にいた嫁にもたしなめられ、僕は息を整えつつ、それまでの30年以上の A型人生 を振り返ります。

「君、本当にA型なのか!?」
かつては、そう説教した上司もいました。
あの夜も、本気で悩んだな。。。
自分は本当にA型なのか、と。

今では笑い話ですが。

あの献血を境に、僕はA型としての自分と決別し、O型であることを受け容れるわけです。現金なもので、O型であることを受け容れた瞬間、B型への苦手意識を克服。
今では、B型と聞かされても、全く気にしなくなりました。
血液型って何なんでしょうね。

今日のお題は、「丹念に暮らす」。
大雑把なO型の僕には、似つかわしくないタイトルなんですけど。(笑)

目次
1.「もっと、もっと」からの脱却
2.丹念に暮らす

1.「もっと、もっと」からの脱却

 昨日、こんな記事を読みました。
「ダウンシフト」について、とてもシンプルに書かれています。

 

fledge.jp

この記事で、「ダウンシフト」に欠かせないと挙げられているキーワードは3つ。

この中の、「ミニマム主義」について。
個人的には、「足るを知る」の方が耳馴染みが良いですが、要は欲望のハードルを下げることです。

「欲望のハードルを下げる」って、どうやるの?

そのためには、まずは欲望と向き合うことが必要と思います。
欲望は自発的なものとは限りません。
気付かぬうちに、「常識」という名前にすり替わり、あなたの傍に潜んでいるかも。

例えば、テレビ。
テレビは一家に一台、あるのが当たり前。そんな常識に囚われていませんか?

我が家は、移住に当たってテレビを手放しました。
東京にいる間は、少なく見積もっても、在宅時間の半分くらいは、テレビがついていました。(睡眠時間は除く)
時に録画されたものだったり、DVDだったりもしたけれど。

実際にテレビがなくなって6か月目。
何の不自由もなく暮らしています。

「最近、〇〇 って見ないね~」
「だって、うちテレビないから見る訳ないじゃん」

嫁に突っ込まれるまで気付かない位、テレビがないことが日常になった。(笑)

テレビがないと、当然それ以外の時間が増えます。
夫婦の会話だったり、本を読む時間だったり、睡眠時間だったり。

あと、NHKが集金に来た時に、躊躇なく言える。
「ウチ、TVありませんから」

「欲望のハードルを下げる」というのは、欲望を殺すことではない。
向き合って、自分がしたいことが何なのか、突き詰めることも必要。
そうすれば、優先順位がつきます。

ただ、自分がしたいことを見つけるのがゴールではありません。
お金と向き合うことも、忘れてはいけない。

上の記事にもありました。

大切なのは、まず自分が最低限の生活をしていく上で、どのくらいのお金があれば生活していけるのかを知っておくということです。


 特にサラリーマンで定期収入のある方は、盲点になるのかもしれません。
自分では疎かにしていないつもりでも、案外できていない。
僕も、確定申告で色んなものと向き合いました。
まあ、この話はまたの機会に。

 

2.丹念に暮らす

「丹念」て、意外と自分では使わない言葉ですよね。
意味も分かっているようで、実はちゃんと知らなかったり。

【丹念】
まごころをこめ、念を入れること。細心の注意をしてよく扱うこと。
     引用元:広辞苑


この「丹念に暮らす」というのは、最近読んだ本にあった言葉。
良い言葉だな~、と思ったので紹介させて下さい。

糖尿病S氏の豊かな食卓 (文春文庫)


著者の坂本さんは、専門学校でデザインを学んだ後、自動車メーカーに勤務。
のち、陶芸家に転じたそうです。

糖尿病になったことをきっかけに、食事に対して求める方向性を「量から質へ」転換。
面白いのが、「質」の中身です。

 ちなみに「質」っていうのは、おいしい素材にこだわるということではありませんよ。贅沢な素材で料理するということでは、けっしてない。ようするに美食ではないのです。僕はマニアックな料理法とか悦楽的なおいしさを追求しているわけじゃないのです。
 料理を突き詰めるとね、例えばコーヒーの淹れ方一つでも、豆からこだわって微に入り細に入りマニアックに」やっていくと、それは確かにおいしいコーヒーになるかもしれない。
 でも僕は、おいしさっていうのは、ある程度のものでいいと思う。いつも手に入る豆で、ある程度おいしく飲めればオッケイということですね。で、それをうちの定番というふうに決めちゃうわけです。「もっと」ということになるとキリがない。あんまりマニアックに考えると日常的に継続するのはつらいです。なおかつ素材はパーフェクトでないほうが料理はより楽しめるというものです。自分の想像力で一皿の料理がおいしくなるというのは楽しい事なんです。

  引用元: 坂本素行 「糖尿病S氏の豊かな食卓」
        ※以下、断りない限り、引用元は同著とします。

 
出ました。「もっと」からの脱却。
「質」といっても高級な素材を追いかけるのではなく、工夫したり、途中を楽しむことで、質を上げようと言っている。

例えば、急に松坂牛なんて頂いても、結構困ったりする。
ビックリはするけど、我に返ると持て余してしまい、案外ストレスだったりする。
素材に見合うだけの調理スキルだったり、調味料がないから。

あ、安心して下さい。
松坂牛なんて貰ったことないので、想像の世界です。(笑)

でも継続的な質を追うというのは、高級な素材を追うのではなく、プロセスを楽しむことなんじゃないか、と。
それこそが、「丹念な暮らし」の第一歩ではないかと思うわけです。

 最近思い至ったことなんですが、いつの時代の人も「昔はよかった」って言うんですよね。昔がよかったかどうか、それはもちろん一概には言えない問題ですが、なんとなくみんなが「昔はよかった」と言ってしまうところに僕は何かがあるような気がするんです。
 僕が思うに、昔のよさっていうのは、貨幣経済がまだ未発達で自分独りで生きている部分が大きかったということではないか、と。そうすると、何をするにでも自分の感性が必要になってくるわけでしょ?自分で判断する、自分で作る、自分を開拓する。自分に求めるものが昔に戻れば戻るほど多いんですよね。 (中略)
 つまり、昔に遡れば遡るほど、生きていく上で己自身に内容を持たざるを得なかったということです。それをだんだんと人間はお金に置き換えていって、置き換えていけばいくほど空虚になっていって、それで空虚になった自分を埋めるために外に何かを求めるようになった。例えば外で食事をして満足を得るということになる。それは刺激ということでしょ?


バッサリ。

「丹念な暮らし」。
なかなか、良い言葉だなぁと思うわけです。

とは言え、我が家も別になんでも手作りというわけではない。
年末の年越し蕎麦も「どん兵衛」でした。(笑)

ここで言う「丹念な暮らし」を出来る範囲で志向しつつ、プロセスを楽しみながら、この場で共有していこうと思います。

次回をお楽しみに!

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冬の過ごし方

こんにちは。OGUROBBYです。

突然ですが、「有識者」という言葉がありますね。
ふと、「有識者」って具体的にどんな人のことを指すのだろう???と思ってしまいまして。いや、辞書的な言葉の意味は分かりますよ。
でも、掲げている知識が間違っている場合(故意かどうかは別として)、それでも「有識者」なんだろうか。
もっとも、僕自身は使ったことのない言葉だし、この言葉を見掛けるとしたら殆ど活字の中なので、「この使い方で合っているの?」と困ることもないのですが。

有識者の発言」とか言うと、何か無条件に正しいことのように聞こえてしまうなぁ…。言葉の魔力。

そんな考えに憑りつかれてしまった、ある冬の朝。
きっと寒さのせいだ。

有識者
いつ、だれが造った言葉なんだろうか。 (まだ言うか…笑)

 

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今週末、日本列島には寒波が押し寄せてきています。
ここ島根県吉賀町でも、昨夜からこんこんと雪が降り続いています。
積もってはいませんが。

ネットの天気予報では、東海・近畿、中国の山地で「今日の午後から猛烈な吹雪」だそう。東海から中国地方まで一括りという雑さ加減に苦笑を禁じ得ないのですが、正直言うと、猛烈な吹雪とやらがどんなものか興味はある。

出掛ける予定がないからこそ、言えるのだが。


ここ島根県吉賀町は、中国山地の中山間地に位置します。
山に囲まれているので、一般的に日の出は遅く、日の入りが早い。
そして天気は、山らしく変わりやすい。
晴れ間が覗いたと思うと、すぐに曇り、運が悪けりゃ雨も降る。

必然的に、天気の話題は多いです。
サラリーマン時代の「困ったら天気の話」的なものではなく、暮らしていくための必要情報として。

今年は、1月5日が「小寒」。
1月20日が「大寒」。

小寒」とか「大寒」という言葉も、最近知った。
今は「大寒」に向けて、どんどん寒くなっていく時期。
これまで、気温がマイナスになることは滅多になかったが、来週火曜(1/17)の最低気温は-7℃の予報。


雪が降ると、野菜、特に露地モノはほとんど取れなくなるという。
大根なんかも、地上の部分がやられてしまうそうだ。
地場野菜もハウス栽培があるのでゼロにはならないだろうが、地元の有機野菜の流通量が減るのは残念。
ただ、これも季節の移ろいの一部。

冬場に野菜を摂るために、皆さん漬物を作ります。
お隣に頂いた白菜の塩漬けも、とても美味しかった。
お隣さんによると、今年はこの辺りの白菜、大根は虫にやられて皆さん大苦戦だったと言う。
そのせいか、直売所での流通量もあまり多くないように思う。
もっとも、例年がどうかは分からないのだが。

農薬、除草剤を使わない農業。
農家の方々が苦労して販売に回してくれた野菜を買い占めるわけにもいかないので、来年は白菜は自分で作りたいなぁ。

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さてさて、冬の昼間の過ごし方。
愛知や東京にいる時より、ふらっと出かける事(出掛けたい衝動)は減りました。
何しろ、スタバもコメダもない。(笑)


どっかで篭ろうかと思ったとき、ナイスと思ったのが図書館。
図書館としての蔵書数、サイズは東京でよく行っていた 光が丘図書館 には及びませんが、コンパクトで混雑もなく、快適です。

人気作家の小説も一通り揃っていて、侮れません。
東京で3カ月待って断念した「下町ロケット2」。
(予約待ち150人まではいったのだが…)
普通に書棚に置いてあったので、ちょっと驚きました。

また、所変われば興味も変わるもんです。
最近、知合いの農家さんからイノシシの話を色々聞いたので、イノシシの習性についての本を借りたりもしてみました。これがなかなか面白かった。
将来、僕がイノシシ対策をうつことになれば、このブログでも紹介したいと思います。

そして都会では信じられない位、図書館の学習スペースもガラガラ。
この前の日曜日は、休日にもかかわらずスペース独り占め状態。
暖房も完備されており、とても贅沢な時間を過ごしました。

本の貸出にしても、最近では珍しいアナログ式。(笑)
とっても懐かしい気持ちになります。
あのスタンプ、子供の頃、憧れていたなぁ。。。

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アナログだから、と言うわけでもないが、一度にそんなに沢山は借りない。
どうせ読み切れないし、東京の時のようにPC上で延長することもできないから。

田舎で本がじっくり読めるか、と言うと、案外そうでもない。
何かと小忙しくて、読書ペースは意外と東京にいたときより落ちていたりする。


その分、睡眠時間は長くなっているかな。
健康第一。

次の時代を、先に生きる。

こんにちは。OGUROBBYです。

先日、夜中に屋根裏をネズミが這う音で目を覚ました。
いや、ネズミかどうかは定かではない。
ただ、ネズミ大と思われる何かが、天井の板一枚を挟んだ向こう側を、走っている音がする。「トコトコ」と。

先日、家の外でネズミを見掛けたので、特に驚くこともない。
ただ音が気になって眠りにつけない。。。

試しに、「ニャーゴ」と言ってみた。
隣で目を覚ました嫁と一緒に、猫の鳴き声を真似てみる。

するとどうだろう。
ネズミ(?)は架空の猫に恐れをなしたのか、鬱陶しい人間だと思ったのか、その場を去った。
都会の集合住宅では、絶対に経験できない。(笑)

今年は酉年。ネズミの時代は、まだ少し先だ。
そんなネズミにあやかる訳ではないが、今日ご紹介する本はこちら。

「次の時代を、先に生きる。」

次の時代を、先に生きる。 - まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ -

目次
1.高坂勝さんとの出会い (長い前置き)
2.「The消費者」という生き方
3.次の時代を、先に生きる。


1.高坂勝さんとの出会い (長い前置き)

以前にも、このブログで軽く触れましたが、高坂さんと出会ったのは、昨年2016年の2月か3月の、とある講演会。
確か、地球のしごと大学の主催するものでした。

講演会後に立ち話させて頂いた際、「実は今年末で会社を辞めるんです」と言ったら、「おめでとうございます」と、とても素敵な返しを頂いたのがきっかけ。
 

ogurobby.hatenablog.com

それから高坂さんが営まれる「稼ぎすぎないことを目標とした」オーガニックバーに、約半年間、一顧客として、通わせて頂きました。
通勤経路が池袋を通る幸運もありました。

僕のような人間は全く珍しくなく、初めてバーに行った際、隣の人が「実は今日、会社辞めてきました」なんて話すので、驚いた記憶が。
ここで色んな出会い、ご縁を頂きました。


ある日、悩みを抱え、見るからに意気消沈している若者に出会いました。
入店して通された席が、その若者の隣だったのです。
彼は、お通しと、お酒1杯くらいしか飲んでいなかったのではないでしょうか。
悩みの中身までを僕が知る由はなく、彼は直ぐに席を立ち、勘定を済ませ、去り際に
「気が向いたら、また来ます」と言いました。

すると、高坂さんは彼に言いました。

「いや、気が向かなくても来てよ。ジャブジャブとはいかないけど、ただ酒飲ませてあげるから。」

それを聞いて、感じました。
この人はビジネスとしてバーをやっているんじゃないんだ。
「儲け過ぎない」バーとして、もっと大きなメッセージを発信している、と。
まぁ、本にも散々書いてあるんですが、「看板に偽りなし」というやつです。

僕自身、前著「減速して自由に生きる」の中でも、
「システムを降りる」と言う表現に勇気を貰い、
「足るを知る」と言う言葉は、今でも具体的なアクションを取る際の物差しになっています。

 

ogurobby.hatenablog.com

 


そして、「ダウンシフト」と言う言葉は、このブログの標題として使わせて頂いているし、今ではすっかり僕の胸の中にも根付いた感があります。

オリンピックの聖火のように。


ここ、島根県吉賀町柿木村は、
最寄りのセブンイレブンまで車で40分。
同じく、ローソンまで25分。
ファミリーマートに至っては、最近見ていない。(笑)

便利とは程遠いそんな環境が寧ろ心地よく、人生を謳歌し始めている。

今一度言おう。
僕がこのブログをやっているのは、現在 ‟常識とされているもの” に疑問を抱きつつも、心身を疲労させてシステムの上で一生懸命生きている、そんな人々の背中をそっと押したいから。

間違えて突き落としちゃったら、ごめんなさい。

僕自身もまだまだ見習いだけど、等身大で手作りすることの面白さや葛藤を伝えていきたいと思っています。



2.「The消費者」という生き方

前置きが長くなりました。
時間の無い方は、ここから読んで頂ければ、言いたいことは伝わります。

早速引用します。


巷では、成長、成長とうるさい。
経済成長やら、GDPやら、売上目標やら、毎日毎日いたるところで拡大を目指す数字が、働く人を追い立てる。数字を上げるために、勝ち残るんだ、強みを持つんだ、資格を取らねば、弱点を克服せよ、と迫って来る。そして当然、働く人は何かをもっと売るために、ありとあらゆる手段を使って、消費者を煽り立てる。

一方、働く時間が終わってプライベートになると、そのツケが自分に回って来る。アレ買え、コレ買え! と雑誌も広告もラジオもテレビもネットも、プライベートな人たちを追い立てる。劣等感を煽られて、誰かと比較されて、君はまだ足りないって! 人にお金を使わせて、「The消費者」にしようとする。

それで、モノを、サービスを、買う。結果、より買うために、より働かねばならなくなる。いくら買っても、いくら働いても、永遠の満足など得られない。自分の時間と心を擦り減らす方が遥かに多い。

何のための成長か。モノを増やすため?何かを永遠に買い続けるため?そのために君は生まれてきたのか。それでも成長したい?活躍して立身出世したい?将来の安定や安心のため?勝ち残るため?親や大人や世間がそう言うから?向上心は大切だが、比べている限り、克服しようとする限り…君は辛い。

 引用元: 高坂勝 「次の時代を、先に生きる。」

※以下、特に断りない限り、引用元は同著とします。



こちらに移住して、お金の使い方が変わったことは、何度かこのブログでも書きました。家計(生活費)を除くと、本当にお金を使わない。

近所の温泉のコインロッカーでは、何日も同じ100円玉を使うことはザラ。
数か月ぶりに通帳記帳しても、数行で終わる。(預金下ろしてない)
近所の買い物では、一万円札を出すのが憚られる。(お釣りがあるか?)

東京にいるときは、ちょっとした空き時間に喫茶店入ったり、
ちょっとでも「お!?」と感じるものを見かけては、「一期一会」と無理やり自己を正当化して物を買ったりしていました。

今思うと、何だかなぁ…という感じです。

『魂の退社』を執筆された 板垣えみ子さん が、そういった状況を、‟チューブにつながれて生きる重病人” と例えていました。
僕もかつては、‟重病人”だったわけですが、対処療法だったなぁ…と改めて感じます。

 

ogurobby.hatenablog.com

気分をリフレッシュするキッカケさえ、消費に頼ってしまう。
正に、「The消費者」でした。


「The消費者」が悪いとは言いません。
それも生き方です。

ただ、知らず知らずのうちに、「その生き方しかない」と思い込んでやしませんか?
その生き方の先に、何があるのか。
一度振り返ってみては、いかがでしょうか。

ある講演会に呼ばれて、収入が数千万円と思われる方と一緒にトークしたことがある。私が「収入が少なく贅沢の回数は減れども、自分で作るものは相対的にも絶対的にも美味しいのだ」と話した後、その方はこう言った。「私はレストランに行って値段を気にせずに注文できる幸せを追求したい」。それもアリだろう。しかし数千万円を稼いでも、未だに値段を見ずに注文できないとしたら、さらにいくら稼ぎ、そのためにいくら働き、どれほどのストレスを乗り越えれば、それが可能になるのだろうか。

 

3.次の時代を、先に生きる

消費者 = 財やサービスを消費する主体のこと。

確か、経済学の教科書にもそんな風に書いてあった気がします。
言葉の定義としては正しいのでしょう。
でも、消費する主体である自分たちが、実は消費されているのではないか?
そんな風に思ったこともあります。

誰に?
"名前を言ってはいけないあの人" ですよ。 (ハリーポッター風)
いや、"あの人たち" かな。

「経済成長至上主義」。経済成長のためなら、何でも許されてしまう。経済成長至上主義は、市場原理主義とか新自由主義とか言われる。市場にすべてを任せれば上手くゆく、という考え方であり、新自由主義の「自由」は、企業にとっての「自由」であって、人々の自由ではない。アベノミクスによって「世界で一番企業が活躍しやすい国にする」なんて言う。だから、原発を動かすこと、原発を海外に売ること、武器を作ること、武器を海外に売ること、それらを可能にした。その原発や武器で、人の暮らしやいのちが奪われても、儲かる方を選択したのだ。
 アベノミクスは、経済成長できる可能性のすべての方法を総動員して全力で進めている点で、壮大な実験である。そして実験の結果は出た。経済成長できずに格差が広がるだけ、だったということ。無駄な時間と無駄な財政支出と無駄な借金と無駄なリスクを冒してそれをした。大企業と富裕層だけが儲かった。それはいい。しかし、未来世代にツケを残した。低所得や厳しい家計状況に陥ったり、仕事が辛くなって追い込まれたり、病気したり自殺に追い込まれた人たちがどれだけ生まれたろう。実験だった、なんて呑気なことは言えない。


今は、極端に経済が優先されてしまっている。
先般、電通の事件が報道されていたけど、氷山の一角に過ぎない。

夜の新幹線に乗ってみたら、一目瞭然だ。
ひと昔前は、ビール片手に新聞や雑誌を読むサラリーマンが大勢だったけど、今は新幹線の席にまでPCを持ち込み、皆仕事している。

心を病み、突然会社に来れなくなる人も、何人も見てきた。
「自己管理がなってない」なんて誰かの声に苛立ちを覚えつつ、今回は自分でなかった幸運に感謝しつつ。
でも、そういう場に居合わせても、立ち止まれなかった。
運転中に車に轢かれた動物を見つけ、避けて行くように。
残された人で、穴の開いた分をどうやって役割分担するかの話し合いが直ぐに始まるし、立ち止まれば仕事が止まり、今度はそのツケが自分に返って来る。

会社を辞めることを決めた後は、色んな事象を俯瞰してみることが出来るようになった。つくづく、会社というのは宗教だ。この宗教においては、利益こそが神。

高級レストランに行くために、高価なブランド品を買うために、心身を擦り減らして働く生き方もあって良い。
でも、そういう働き方を何気なく選択し(選択したという実感もないままに)、苦しんでいる人の何と多いことか。
と言っても、周りも同じように苦しんでいるから、「自分だけ楽しちゃ悪い…」なんてついつい頑張ってしまう。苦しんでいる自覚すらも、誤魔化し、押し殺してしまう。

では、「次の時代」とは、どんな時代、社会なのか。

私の中には未来の社会ビジョンがある。誰もが上を目指さねばと思い込まされている現代、そこから落ちこぼれたり、ついてゆけない人たちが溢れ出ている。上など目指さなくていい。ついて行く必要などない。経済成長は人間を含むすべてのいのちを脅かしてゆく行為なのだから。経済成長など関係なく、誰もが満足して暮らせる社会に近づけること。それが私の目指す社会ビジョンだ。上を目指さずとも、誰もが尊重され、いのちと自由を脅かされず、満足感に溢れる働き方と暮らし方ができ得る、そんな具体的なあり方を示したいと思い続けてきた。
 低コストライフがまさにそれだ。都市部から離れて、主のいなくなった空き家を改修し、田んぼや畑で半自給し、足りないものは互いに補い合い、使い古された車を安く手に入れ、電気などのエネルギーを自ら作るか地域から調達し、世界の人々と情報を共有し、誰かに気兼ねせずに堂々と自由に言葉を発することができ、誰からもいのちを脅かされることなく安心して暮らせること。それらを低コストでできること。
 誰もがそうする必要はない。企業に勤める人がいていい。お金を儲けたい人がいていい。大きくなりたい企業があっていい。しかし、成長や拡大を強要されて他に選択肢がない今の経済社会にオカシイと言いたいのだ。違う選択でも豊かに生きられることを伝えたいのだ。選択肢があれば、人生そのものをどちらかに選んでもいいし、人生の折々でどちらかに変えてもいい。

 

 「低コストライフ」。
都会で消費者としての生活にどっぷり浸かっているうちは、物凄くハードルが高いように思える。
でも、田舎に来てみると、既にやっている人は珍しくない。
勿論、やったことはないのだけれど、周りに先生は沢山いるし、ハードルが自然と下がって来るのを感じている。

「次の時代」、今年も進んでいくよ~!!(手探りだけど)

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